失敗の重要性を「言語哲学」から考える

あなたは何かに失敗したときにどんな気持ちになりますか?

自分はなんてダメな奴なんだ…、とネガティブな気持ちになってしまうこともあるかもしれませんね。

でも、人間は失敗を繰り返してこそ成長する生き物なんです。だからたくさん挑戦して失敗しましょう!

と、ここまでは割とありがちな話ではないかと思います。私もこうした意見には賛成派です。

では、なぜ失敗すると成長につながるのでしょうか?

私が学生時代に勉強していた言語哲学の視点から、失敗することの重要性について考えてみました。

私たちは「比較」と「否定」で物事を理解する

言語学の視点からいえば、世の中のさまざまなことは、何か他のものと比較して、比較したものとは違うものだという「否定」をすることで理解することができます。

例えば、あなたが世の中のことを何も知らなかったとします。そこへイヌを連れてきて、これは「イヌ」だよと教えます。次にネコを連れてきて、「これは何?」と聞いたとき、あなたは「イヌ」としか答えることはできません。なぜでしょうか?

あなた以外の生き物を「イヌ」しか知らないあなたにとっては、他の生き物はすべて「イヌ」なのです。

わたし ≠ イヌ

あなたが「ネコ」を判断するためには、「ウサギ」や「ウマ」、「トラ」、「ライオン」…、と多くの生き物を理解して、それらのいずれでもなく「ネコ」なのだと学ぶ必要があります。

ネコ ≠ わたし

≠ イヌ

≠ ウサギ

≠ ウマ

≠ トラ   etc…

「ネコ」と他の4つ足の生き物を「比較」して、そのいずれでもないと「否定」することで、初めて「ネコ」が分かるのです。

この生き物は知っているどの生き物でもない…、これがネコ!

このように、私たちは多くのことを「比較」と「否定」で認識しています。

「失敗」することは「失敗ではない」を知ること

次に「失敗」の話に戻ります。

あなたがある選択肢Aを選んだ結果、「失敗」したとします。この時、あなたはAを選ぶと「失敗」なのだ、と知りますね。

 A = 失敗

そして、それと同時に「失敗ではない」かもしれない選択を知ることになります。

B~Z = 失敗ではないかも?

先ほどのネコの例と同様にたくさんの「失敗」を知り、それと「比較」して、それと同じではないという「否定」を繰り返していくことで、「失敗ではない」かもしれない選択肢に近づくことができます。

A = 失敗

B = 失敗

C = 失敗

D = 失敗

E~Z = 失敗ではないかも?

これが巷でよく聞く、「失敗を繰り返して成長する」ことです。

「失敗」を知らないことが「最大の失敗」

上記の話は、「成功」が存在することが前提とした話です。 AからZまで全部が「失敗」の可能性だってあるでしょう。

では、そもそも試してみること自体やめた方がいいのでしょうか?

私はそうは思いません。「すべての選択肢が失敗だった」と知れたことが大切です。

すべてが失敗だと分かったなら、「成功を追う」以外の判断基準へ進むことができるからです。

もしも何も試さなかったとき、あなたは「失敗」ということすら知ることができず、ただの「無」です。宇宙空間に上下左右も何もなく、ポツンと漂っているような状態です。

     わたし

でも、「成功」がなかったと知ったあなたにはそれ以外の地平が見えてきます。ポツンと漂っているあなたは、右にも左にも正解がなかったと知ったので、じゃあ上か下に行ってみようと判断ができるようになります。

      ↑

失敗 ← わたし → 失敗

______

上や下には「成功」ではなく、「幸せ」や「満足」といった別の判断基準におけるゴールがあるかもしれません。

何も知らなかったあなたには見えなかった視点ですよね。「失敗」を恐れて何も知らないままでいること、それ自体が「最大の失敗」なのです。

まとめ

私は最近ブログやライティングなど新しいことに色々と挑戦してみています。新しいことをやると、初めは失敗ばかりです。

でもたとえ100回挑戦して、100回失敗だったとしても、その経験を通して新しい比較の軸が生まれます。

仕事でも恋愛でも何であっても、自分で行動したことは必ず成長につながります。社会がめまぐるしいスピードで変化していくこの世の中、どんどん挑戦して、「失敗」を積み重ねていきたいと思います。