だむろっしゅの文化活動部ログ

アート、映画、旅行などなど。文化部的な活動記です。

【便器ってアートなの?】デュシャン作品からアートについて考えてみた

2018年10月2日から12月9日まで、「マルセル・デュシャンと日本美術」が上野の東京国立博物館で開催されています。

この展覧会で見たデュシャンの作品を通して、「アートとはなんだろう」と考えたので、備忘録的につづっていきます。

 

 

 

便器はアートなの?

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デュシャン『泉』 (Fontaine)

デュシャンの作品といえばこちらの『泉』を思い浮かべる方も多いと思います。私自身もその一人です。展示会の目玉にもなっていますね。

 

さて、この便器がアートなのかというのが問題です。私の意見は、便器はアートであるということに賛成です。

 

この展示会の第1章では、デュシャンが画家として描いていた絵画を見ることができます。しかし『泉』は、そうした第1章の作品とは違って、デュシャンが自分で作った(=便器を成形して固めた)わけではありません。自分で作っていないのならば、デュシャンのアート作品ではないじゃないか、という考え方もあります。しかし、この既製品の便器がアートである、といって世に送り出したデュシャンのコンセプト自体に価値があると考えます

 

この便器の物体そのものに価値があるのではなくて、デュシャンが便器に『泉』という名前を付けて美術作品としたこと、その発想に着目すべきです。

 

 みんなが見ているのはデュシャンの作品なの?

繰り返しになりますが、私はデュシャンの作品そのものではなくて、彼のコンセプトや発想にこそアート作品の価値があると考えます。

 

そう考えた理由の一つは、多くの観客が「レディ・メイド」作品の写真を撮っているのを見たからです。美術館で作品を写真に収める人はたくさんいますよね。

 

でも、実は今回展示されている「レディ・メイド」作品のいくつかはデュシャンのオリジナルではなく、レプリカや複製です。観客が撮っているのはレプリカ・複製の数々だということがポイントです。

 

『泉』:レプリカ

『彼女の独裁者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)東京版』:複製

『自転車の車輪』:レプリカ

『瓶乾燥器』:レプリカ

 

 私自身もこれらの作品の写真を撮りました。そして撮ったあとに手元の目録を見て驚きました。デュシャンの作品ではないこの作品たちの何に夢中になっていたのだろうかと思いました。

 

ただそれを知ったからと言って写真に収めた作品がガラクタに見えたわけでもありません。作品をまだアートだと感じる理由は、作品自体ではなく何か別のところにあるのかなと考えました。

 

考えた結果が、デュシャンが日用品をアートにしたというコンセプトです。いわゆる絵画などは作者のオリジナルが重視される傾向にあると思いますが、オリジナルでなくても価値を感じることができる、それがデュシャン作品の特徴なのだと感じています。

 

(「美術館」という「アートを展示する場所」に置かれていた、という場所性もきっと関係しているとは思いますが、長くなりそうなのでまた別の機会に…)

 

鑑賞者は作品の一部?

次に、展覧会の第4章でみることができる『遺作』の様子を映像や関連作品について考えます。『遺作』はその名の通り、デュシャンの最後の作品で、彼の死後に公開されました。

 

この作品を見て私が感じたことは、デュシャンの『遺作』は鑑賞者が作品の一部として参加することで、作品が完成することを意図した作品なのではないかということです。

 

『遺作』という作品ですが、木の扉に開けられた小さな2つの穴を覗くことで鑑賞できるインスタレーション作品となっています。

扉の穴を覗くと、草の上に横たわった裸の女性(にみえる)の人形が、そしてその後方には山並みや湖、そして空が見えるようになっているそうです。

 

「覗く」という行為を要求していることが面白いなと感じました。

 

誰も扉の穴を覗いていないとき、扉の向こう側には何があるのかは誰にもわかりませんよね。しかし、鑑賞者が扉の穴を覗いたその瞬間、作品が鑑賞者に認識されることによって、はじめて作品が作品して認識されます

 

こう考えたとき、作品はそれ単体ではまだ作品ではないのではないかと気づきました。作品は鑑賞者が鑑賞することによって成立するのです。

 

つまり鑑賞者を作品成立のための一要素とすることによって作品を成立させようとしたデュシャンの企みが見えてきた気がしました。

まとめ

私はデュシャンは、鑑賞者が作品を観賞しようとする行為を作品の構造の一部にしたのではないかなと思います。

 

そうしたとき、私が、デュシャンは一体何がしたかったんだろう?と考えることは、彼にとってはしてやったりなのでしょう。

 

いろいろな作品を見て、触れて、作品について思考をめぐらせることは人生を豊かにすることだと思っています。もちろんデュシャン作品に限らずです。

また何か感じたことがあれば綴っていきたいと思います。

 

※美術の専門ではないので、先行研究などに基づく論考ではありません。あくまでも個人の一感想ととらえていただけますと幸いです。皆さんがどう感じられたかのコメントなどもお待ちしております。